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日语作文1

2021-06-20 来源:爱问旅游网


高校の時、私は毎朝7時20分に家を出ることにしていました。けれども、遅刻しそうになって走ったこともありました。帰りは、友達と偶に寄り道をして、ケーキ屋さんや本屋さんへ行きました。校則では禁止されていたので、何となくスリルがあって、ドキドキしたことを今でも懐かしく思い出します。

私は3年間ずっと合唱【がっしょう】部でした。練習はつらくもあり、また楽しくもあまりました。1年に1度の発表会の前は、練習で帰りがおそくなることがよくありました。暗い道を、友達と駅へ向かう途中、悩みを相談し合ったり、10年後の自分たちについて、話したりしたりものです。今から思えば、このおしゃべりが、毎日の生活の楽しみだったのかもしれません。私が高校生活で得た一番大きなものは、友情だと思います。

7.「趣味」

私の趣味は書道【しょどう】です。休日はいつも午前から筆 【ひつ】と硯【すずり】を出して。夕方まで習字をしてすごします。でも、この習慣は日本に来てから始めたものです。もちろん私の国中国でも子供の時から、みんな習字を習います。しかし、国ではそれは趣味ではありませんでした。

日本では何でも非常にお金がかかります。ですから始めの頃、私は暇な時でも何もしないで一日中部屋にいました。でも日本語学校で習字のクラスが始まったので、私もやってみることにしました。漢字は私の国でも書きましたが、ひらがなを筆で書くのは初めての経験でした。その時私は筆で書くひらがなの美しさにとても感動しました。今、私はひらがなの練習に夢中になっています。

それに習字をやっている、国のこと、特に高校生のころを思い出して、とてもなつかしい気持ちになります。習字は孤独【こどく】な趣味です。友達は「もっと外に出て遊んだ方がいいでしょう」と言いますが、私は習字をやっていると本当に時間をわすれてしまうのです。

9.「私の一日」

私は毎朝6時半に起きます。そしてラジオの中国語の勉強を始めます。中国語の発音は大変難しいです。7時半ごろ朝ご飯を食べます。

私の家は郊外にあります。会社は町のまん中にあります。家から駅まで10分あまり歩きます。そして電車で会社へ行きます。家から会社まで55分かかります。電車はいつもたいへんこみます。会社は9時に始まります。仕事はたいてい6時に終わります。どきどき駅からタクシーで帰ります。3分ぐらいです。170円かかります。

私の会社は旅行会社にいます。支店は全国に八か所あります。仕事はたいへんおもしろいです。私はよく出張します。来週は九州へ行きます。しかし、出張はとても疲れます。日曜日はほんとんどの会社は休みます。しかし、わたしの会社はめったに休みません。社員は交替で休みます。休みの日は一か月に4回とどです。その日は昼ごろに起きます。あまり外出しません。家でゆっくり小説を読みます。夜はビールを少し読みます。そしてステレオで音楽を聞きます。ときどきテレビも見ます。

10.「私の家族」

私の家族は4人と1匹です。両親と私、弟、それにゴンという名【な】の犬です。父は歴史家なので、セラリーマンのように毎日決まった時間に出勤しません。父は話が苦手なので、母が客の相手をします。高校へ行っている弟は将来外国で働きたがっています。

ゴンは今年10歳になります。とてもいばっていて、父がいない時はゴンが父の椅子に座っています。他の人が座ると、鼻にしわをよせて怒ります。寂しがりやで留守番も嫌いです。母や私が出かける支度を始めると、私たちの傍から決してはなれません。留守番をしなければいけないと分かると、私たちの靴を隠してしまいます。ゴンの最後の手は仮病です。ゴホゴホと咳きをしたり、びっこをひいたりすます。家族はそれに時時騙されます。

11.「日本語の授業」

日本語の授業は1週間に5回あって、文型【ぶんけい】や会話、漢字、作文などを練習します。本を読んだり、テープを聞いたり、ビデオを見たりもします。授業中は先生も私たちも日本語しか使いません。

始めに、簡単に復習をしてから、新出語や文型を習います。先生は絵や動作を見せて説明していきます。何回も文を聞かせてから、私たちに言わせます。私たちは文型を使って文を作ったり、先生の質問に答えたり、学生同士で質問しあったりします。

よく、先生は私たちに短い会話を暗記させて、役割練習をさせます。とても緊張しますが、実際に、体を動かしながら話すのは面白いので、私はこの練習が一番好きです。しかし、漢字は苦手です。先生は私たちに漢字が書いてあるカードを読ませたり、何回もかかせ

たりします。最後に、声を出して教科書を読みます。先生は私たちに一人ずつ読ませて、間違った読み方をなおします。

12.「お誕生日」

私の誕生日は4月23日です。今年の誕生日で私は30歳になりました。私はその日、友達といっしょに誕生日パーティーをする支度をしました。まず、カフェをかりきりました。

そしてそこをきれいにかざりました。バースデーケーキにろうそくを21本たてました。それから私がすきなこん色のワンピースをきました。

5時からパーティーを始めました。友達がたくさん来てくれました。そしてみんな私に「おめでとう!」と言ってくれました。私がケーキに立ててあるろうそくの火を消す時、シャンペンの栓【せん】をぬいてくれました。そして、人形やこう水や絵など、いろいろなプレゼントをくれました。それからうたを歌いながらビールを飲んだりスケーキを食べたり、ゲームをしたりして過ごしました。

13.「娯楽」

「日本人は働き蜂」とよく言われます。確かに、日本人は勤勉でょく働き、中には「仕事が趣味」という人もいます。しかし、誰でも仕事ばかりしているわけではありません。それでは、仕事から解放された時、日本人はどんなことに楽しみを見出すのでしょうか。

まずゴルフです。サラリーマンにとっては、たんに趣味というだけでなく「接待ゴル

フ」といって、日曜日に青空の下でゴルフをするのは、趣味と仕事の両方ができて「一挙両得」のようです。

「時間と暇があれば旅行したい」、大部分の日本人がこう考えているのではないでしょうか。国内ばかりか円高の影響から海外旅行熱も高まるばかりで、休日の駅や空港は大変混雑します。

スポーツ観戦は野球、サッカー、相撲などに人気があります。テレビの番組表を見ると、いかに日本人がこれらが好きかがわかります。広いグランドで繰り広げられるゲームや狭い土俵の上の勝負に熱狂し、ひと時を過ごすのは、たとえテレビの観戦にしても楽しいものです。

また、お年寄りに人気があるのはゲートボールです。孤独になりがちなお年寄りがいっしょにボールを追いかけることで、楽しみを共有できるのはよいことだと思います。

パチンコは、好きな人と嫌いな人がはっきり別れます。しかし、どんな町にもパチンコ屋が必ずあり、いつも混んでいることを考えると、日本人の娯楽の中に必要がありそうです。パチンコファンは老若男女を問わないようで、店の中には、さまざまな層の人がゲームを楽しんでいます。

カラオケは世代によって楽しみ方が違います。若者はカラオケボックスで、歌うことを目的に、数時間を過ごします。仲間だけでいられること、何人もで楽しめること、歌っている瞬間は主役でいられることなどから人気があるようです。勤め返りのサラリーマンが立ち

寄るバーなどにも、カラオケの設備のあるところが大半です。「いっぱい飲みながら」歌うカラオケは、知らない人同士マイクを譲り合い、上手な歌に心からの拍手をし、下手な歌にもお世辞の拍手をする。最近では外国人のために、各国語の局をそろえたところも出てきました

14.「私の一週間」

私は月曜日から金曜日まで日本語の学校に行きます。そして9時から3時まで勉強します。お昼休みは12時から1時間あります。私はこの時間がすきです。自分のクラスの友達はもちろん、他のクラスの友達ともおべんとうを食べながら、いろいろなことを話し合います。ときどき学校の近くのレストランへ行くこともあります。

放課後 【ほうかご】は学校の図書館で5時まで予習と復習をしてからアルバイトに行きます。月曜日から金曜日まで、昼と夜はアルバイトや勉強で忙しいですからあまり遊びに行きません。土曜日は学校は休みです。朝は掃除をしたり、洗濯をしたり、近所のスーパーへ買物に出掛けたりします。日曜日の午前中は教会へ行きます。午後は天気のいい日は公園を散歩します。土曜日から日曜日にかけて温泉に行ったことがありますが、わたしは土、日は家で両親や友達に手紙を書いたりテルビを見たりして、のんびり過ごすのが好きです。

16.「自己紹介」

私は中国から来た「ぼくのゆめ」です。今島根にある寮に住んでいます。外国人は私一人です。ですから、はじめのころは、言葉や食事のことなどでとても苦労【くろう】しまし

た。お風呂に入る時も恥ずかしくて嫌でした。

でも、今はもうすっかり寮の生活にも慣れて、みんなと仲良くなりました。私は料理が得意なので、休みの日は、寮の友だちにごちそうします。すると、みんなとてもよろこんでくれます。私は好奇心が強くいろいろなことを体験してみたいと、いつも思っています。それで、以前から趣味のあった日本へ来たのです。

今熱中していることは生け花です。次は、お茶をやってみたいと思っています。にほんへ来る前は、病院に勤めていました。日本語の勉強が終わって帰国したら、日本語や日本で学んだことをどんどん仕事に生かしたいと思っています。

18.「私の国の教育」

中国の義務教育は中学3年生までで、16歳までです。中国では小学校から中学校に入学する時は試験がありません。中学校から高校に入る時から試験があります。高校から大学に入る試験はとてもむずかしいです。進学校の高校3年生たちは、朝7時から夜時まで学校で勉強します。試験科目が多いので入学試験に合格するためにはたくさん勉強しなければなりません。一番たいせつな科目は国語と英語と数学です。1クラスの30パーセントの生徒が大学へ進学します。進学しない人は家にいる人もいますし、就職に合格する人もいます。

「3時間しかねなかったら入学試験に合格するが、4時間寝たら落ちる」という話があるほど、大学に入学試験は難しいです。日本の予備校と同じような学校があるので、入学試験に落ちたらその学校で勉強します。

中国の教育はとても厳しくて、日本とあまりかわらないと思いもす。

私の趣味2

仆の趣味は音楽鉴赏でございます。もちろんポピュラー音楽が大好きですけども、普段にクラシック音楽もよく聴きます。いつも部屋で音楽を聴きながら、文章を书きます。もし、何か悩んでいることがあれば、好きな音楽を聴いて気持ちが落ち着けます。

日语作文我的家乡

私は上海に生まれました。故郷は上海だと思います。上海は中国の中では、最も都会らしい都会です。上海には名所名迹が少ないが、中国最大の商业、工业、港湾地帯として特徴づけられている。

今、上海の人口がもうすでに1250万人を超え、世界一のマンモス都市となった。改革开放によって、上海が大きく変わりつつある。毎年上海に帰省するたびに、その発展ぷりに惊き、上海の一员として、夸りと喜ぴを持っている。

上海は长江の南侧、支流の黄浦江の西侧に拓かれた街だ。今世纪の初めに黄浦江西侧のバンドと呼ばれる地区は、港湾设备が整备され、その周辺に各国の租界か集中されていた。上海はまた「冒険家の楽园」と呼ぱれ、このバンドは国内だけでなく海外でもよく知られており、観光客が必ず访れる所となっている。バンドは上海・シンポルとも言え、バンドの周辺に立ち并ぷ建物はそれぞれ风格を持ち、「万国の建筑物」と言われる。

バンドの近くから始まり、市中心まで伸びる世界でも有名な南京路がある。东京の银座より人がいっぱいで赈やかである。南京路にある第一百货店は毎日20万人ほどのお客さんを迎え、祝日になると30万人を超えるほどだ。

さらに、夜のバンドと南京路はまた格别だ。ネオンサインがまぷしいほど辉き、日本人は上海の夜景を「五つ星」と绝賛している。

谁にも故郷がある。故郷を离れれぱ离れるほど故郷が恋しくなるのが人情だと思う。上海に帰る回数が増えれぱ増えるほど恋しくなる私の大好きな上海である

「私の夢」

わたし

ゆめ

わたし

私は、難しい顔をしていた友達が「わかった!」と笑顔になるのを見るのが好きだ。こ

むずか

かお

ともだち

えがお

わたし

がっこう

せんせい

おも

がっこう

せんせい

おも

りゆう

ういうことから私は、学校の先生になろうと思う。学校の先生になろうと思った理由はもう一つある。私は四年生の時、絵が下手だったから、つまらない絵を書いた。先生は「それも

ひと

わたし

よねんせい

とき

せんせい

個性だよ。」と言ってくれた。その一言で私は自信を持って、絵が書けるようになった。

こせい

ひとこと

わたし

じしん

だから、私は子供達に夢や自信を上げられ、勉強だけでなく、いろいろなことを教えら

わたし

こどもたち

ゆめ

じしん

べんきょう

おし

れる先生になりたい。そのために、私は師範大学に入って、心理学や教育法などについて

せんせい

わたし

しはんだいがく

はい

しんりがく

きょういくほう

勉強するつもりだ。今まで以上の努力をしようと思う。

べんきょう

いま

いじょう

どりょく

おも

「将来の私」

しょうらい

わたし

将来、開発会社の社長になりたい。というのは、色々な物を開発してみたいから。

しょうらい

かいはつがいしゃ

しゃちょう

いろいろ

もの

かいはつ

一番作りたいのは、ロボットだ。そのロボットは、何でもできるロボットで、料理や掃除、

いちばんつく

なん

りょうり

そうじ

洗濯などの家事ができたり、事故や災害の時に、現場に行って逃げ遅れた人を助けたり、

せんたく

さいがい

とき

げんば

おく

ひと

たす

地震で崩れた家の中に入って人を助けたり、危険な仕事をしてくれたりすることができる。

じしん

くず

いえ

なか

はい

ひと

たす

きけん

しごと

また病人や、体の不自由な人、お年寄りの看護もしてくれる。

びょうにん

からだ

じゆ

ひと

としよ

かんご

今は、科学技術を戦争に使っているが、私は、科学技術をもっと生活に役立てたい。

いま

かがくぎじゅつ

せんそう

つか

わたし

かがくぎじゅつ

せいかつ

やくだ

4、日本語の勉強

私たちは去年から日本語を習っている。もうすぐ一年間になった。毎日新しい言葉を20ぐらいずつ習う。新しい漢字を10ぐらいずつ習いますが、なかなか覚えられないので、週末に特に勉強する。

やさしい会話はできるが、難しいことはまだ話せない。短い手紙を書くことはできるが、長い手紙を書くことはできない。まだ、日本語で自分の意見が言えない。演説もできない。日本の映画やテレビは少しわかる。

休みには、時々映画を見たりテレビを見たりして過ごす。よく買い物に行く。

8、私の夢

私の夢は先生になることだ。小学校からずっとこの夢を持っている。「私がもし先生だっだら、たくさんの宿題をやらせる。生徒が私の話を聞かないと、罰を与える。」という子供の心理から来たのだ。

大きくなるにつれて、だんだん先生という仕事の重要性が分かるようになった。人類文明史の中で、先生はとても重要な役割を果たしてきた。先生がなければ、人類の進歩がないのだ。自分の教えによって、学生が成長していくことを見て、一種の充実感があると思う。

いま、私は夢に向かって、一歩を踏み出した。将来立派な先生になるために、一生懸命頑張っている。

18、映画

私は映画が大好きでよく見に行く。特にミュージカルが好きだ。今まで見た映画の中でいちばん好きなのは「王様と私」だ。最近は『ラッコ物語』を見た。

夏休みに、映画館へ見に行った。あまりおもしろそうだと思わなかったのだが、友達が見たがっていたので見に行った。映画館はこんでいたが、座って見ることができた。映画は思っていたよりずっと良くて、感動した。

ラッコたちがとてもかわいくて、海の風景もとてもきれいだった。ラッコの親子も人間の親子と同じような愛情を持っていると思った。みんなにも見てほしいと思う。

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